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【再掲載_001】 日本初の女性灯台守  萩原すげさん
2021 / 11 / 29 ( Mon )


【2017年12月10日 掲載】



みなさんに知ってもらいたいので、



再掲載いたします(*'ω'*)







日本史上初の女性灯台守は



ここ伊豆稲取で誕生しました



お名前は 萩原すげさん



物語は明治期にさかのぼります ・ ・ ・



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稲取トモロ岬(艫櫓岬)の沖は



海難事故の起こりやすい場所として



漁民から恐れられていました






1892年(明治25年)、稲取漁民代表の



鈴木常右衛門らの考えで



トモロ岬(艫櫓岬)の上に



灯台を作る計画を立てました



何度か国にお願いしましたが、



受け入れてもらえず



漁民たち自身で



お金を出しあって作ることにしました



1909年(明治42年)12月



当時のお金で850円



(内、漁民積立金805円)の



費用をかけて完成しました






灯台ができてからは



その光が漁船の目印になり



難破する船もなくなったとのことです






稲取灯台は1914年(大正3年)に



従来のカンテラ式からマントル式点灯器に



変えることになりました






これを点灯するには、国の資格検定が必要で



萩原すげさんにその大役が回ってきました






萩原すげさんは資格取得のため、



技術講習を受けに



下田港の神子元灯台事務所まで



往復 50km の道を歩いて通い



苦労して資格を取り、



日本で最初の女性灯台守になりました




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※ 【萩原すげ物語より以下引用】

 ~ 朝3時に起き、

  母の心づくしの弁当を背負い、

  父が持つ提灯の明かりで

  稲取の浜まで降りる。

  そこで父と別れ、長野原を越え

  見高浜の菓子鼠に提灯を預けて、

  縄地、白浜、柿崎を通り

  下田港口の漁船専用の

  旅館に着くのは9時半頃だった。

  そこから下田沖の

  神子元島灯台に小舟で渡り、

  4時間の講習を受けて

  午後3時に帰路につく。

  稲取まで迎えに来ていた父と

  一緒に帰宅する頃は、

  夜もすっかり深まっている

  という日々の繰り返しであった。~




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灯台守としての努めの厳しさ ↓


※ 【いぶし銀の女たちより以下引用】

 ~ 灯台守に休日はない。

  雨風の日はことのほか神経を使う。

  台風の日などは、一晩中灯台を

  離れることはできない。

  人里離れた灯台で、深夜一人で

  灯火を見守る心細さは、負けん気の

  すげと言えども例外ではない。

  「じっと夜明けを待つですよ。

  さむしくて、さむしくて。

  こうして小さくなって見ているです。

  白々と夜が明けてくる時が

  いちばんうれしくて」と、

  乙女のような恥じらいを見せる

  すげであった。~








1917年(大正6年)に結婚、



四男六女の子宝に恵まれました



昼は段々畑を耕して野菜を作ったり



時には柿を売る行商などをして



生計を立てていたそうです



すごいですねっ!!






1943年(昭和18年)、戦争の激化により



敵機の空襲の道しるべになるという理由で



灯台が廃止されるまで



すげさんは家族に助けられながら灯台を保守し



海で働く男たちの安全を守り続けました



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稲取灯台は、1985年(昭和60年)に



復元されました



高さ 3m 程の小さな灯台 ・ ・ ・






すげさんは1990年(平成2年)、



享年96歳でお亡くなりになりました




萩原すげさんの詳しい情報はこちらから





※ 2017年12月10日、


  東伊豆町立図書館で


  生前の萩原すげさんの


  カラー動画インタビューを拝見しました!


  カラー動画があるなんてびっくり!!!


  感動~!(≧▽≦)!







魅力的な萩原すげさん ↓

※ 【いぶし銀の女たちより以下引用】

 ~すげのもつ恐ろしいほどのバイタリティーも

  驚嘆に価する。

  彼女は、やや耳が遠いだけで、

  かくしゃくとして、

  「九十年は決して長くなかった。

  あっという間でしたよ」と、

  歯切れよく声高に話す。

  こちらも老人と話していることをつい忘れ、

  早口で光を促してしまうほどであった。

  最近まで針仕事もしていたそうであるが、

  勘のよさであろうか、老眼鏡もかけずに

  糸を通すことができるという。

  私たちの食膳に供されたそぼろも、

  魚ぎらいのすげの手になるものであった。~








稲取から望む伊豆大島



今日は大島の街並みがはっきり見えました



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国道135号から見下ろす



伊豆稲取の街並みです



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稲取灯台周辺に群れるエナガ



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稲取灯台には



日本史上驚きの事実があるんです!



稲取灯台そばにあった茶屋に



大偉人が立ち寄っていたんです!



おそらくご存知の方は少ないのでは?



その名は ・ ・ ・



吉田松陰さん!!!







※ 【刺しゅうでつづる稲取灯台の

   変遷と燈台守より以下引用】

 ~ まだ早いのに握り飯を出して大急ぎで食べ

  下田までの道のり、近道を聞いたといいます。

  後でわかったことですが、この旅人二人が

  吉田松陰と金子重輔の二人で

  前夜の宿泊地大川から、

  沖行く黒船を追って

  下田に急行したとのことです。~




  くわしくはこちらをクリック
 「 二、茶屋の有人化 」の10行目からご参照下さいませ






下田市柿崎弁天島にある



吉田松陰と金子重輔の銅像



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静岡県下田市柿崎の



弁天島にある弁天社と黒船です



吉田松陰と金子重輔はこの祠に身を隠して



1854年4月24日の夜、密航を試みました



当時もこのような風景だったのでしょうか?



激動期の日本が偲ばれます
























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